はい、TAMAIです。
何について書こうか毎回結構悩みます。ただし、書き始めるためのテーマが無い、という理由で困ることは今のところありません。一つ記事を書くことができれば、だいたいその文脈の中で、次はこのテーマで書いてみようかな、とうものが幾つかは浮かびます。または、一つのテーマで書こうとした時にこれを書くのであれば、その前にこの話をしておこう、と内容を先送りにすることもあります。では、何に悩んでいるかというと、基本的には、そのテーマで記事に必要なボリュームが保てるかどうか、です。今回で、僕の記事は8回目になりますが、大体2000字くらい書いておけば満足するんじゃなかろうか(僕が)、というところで落ち着きを見せています。
このテーマでは、ボリュームが稼げない、むしろ増やすと伝えたい内容の切れ味が鈍るな、とか、テーマが大きすぎて手をつけたく無いものもあります。
こういった、定期的なエッセイという形式では、書かないようにする、書かなくても伝わるようにするのが、非常にテクニカルな部分だなと感じています。大体、僕は書きながら考えているので、横道にそれやすく、予想している着地点への軌道修正に一番時間がかかります。
今回は、選択肢を少なくしているのは、自分自身だ。という話をしようとしています。
その為に、この記事を書く時にはいくつもの話のテーマから絞って、選択肢を限定しているんですよ、という話を枕にしてから繋げようとしていたのに、うまくそこに辿り着けず、このままではテーマが横道に逸れることの重要さ、とかに逸れそうなので無理やり本題に入ります。
本題:選択肢を少なくしているのは、自分自身だ。
あなたは何色が好きですか?
そう尋ねられたら、なんと答えるでしょうか。この瞬間にあなたが無条件に色のチョイスに思考を巡らせているのであれば、他の選択肢を模索してみてもいいかもしれません。
あなたが、一つの色を、どんな時も変わらず好きであると決めているのであれば、もちろん問題ありません。
でも僕であれば、好きな色を決めていません。状況でも、時間でも、対象でも、気分でも変わるからです。多くの人もそうではないでしょうか?
でも、何色が好き?と聞かれてしまうことで、ああ、色について聞かれている、何色かを答えなければ、と思考がロックされてしまうのです。これは、真面目な人ほどそういった傾向があるでしょう。何か人の期待に答えたい、という優しい人も同じかもしれません。それが相手の期待通りかは別問題ですが、それはさておき。
重要なことは、意識的に選択肢を少なくしているか、です。
些細な会話の中でも、常に選択肢マックスの状態で臨んでしまうと、いつの場合?、どんなシチュエーションなの?
何かを見比べるってこと?どういう気分なのか設定して、と前提条件を確認するだけで会話が前に進まなくなってしまいます。前に進まなくていい時か、見極める必要があります。
意識的に選択肢を少なくすることによって、人は自由になれます。
自由とは選択肢の多さ、ではなく迷いたい時に迷い、進みたい時に進みたい方向へ進めるか、です。
時に選択肢の多さは、自由への障害になります。
(もうこの辺で、頭の中では、自由とは何か、について書きたくなってしまっています)今回は、メモ書きのような内容になってしまうかも、やはり横道に逸れることがテーマなのかもしれません。
そうそう、色つながりで言えば人生バラ色何て言葉があります。(むしろ、わざと横道に逸れています)
バラ色の人生、なんて考えただけでもゾッとしてしまいます。
なんだか、幸せの絶頂みたいな表現で使われるのを目にすることがありますが、僕にとっては真逆の印象です。
これは、それ以外に何もいらない、何も見えない、何も考えられない、全てがどうにかなってしまった状態で、なんのロマンもなく言い換えるならば、視野狭窄に陥っているだけです。
つまり平常の状態ではない、異常事態です。
でも、そういうアンコントローラブルな、何か翻弄されているけれども、全てが繋がってわかってしまったような状態に憧れてしまうのも、人間の特殊な性質かもしれません。
あとがき
今回は、アンコントローラブルなエッセイでした。
そして、今回の記事は、はたして2000文字に到達しているのでしょうか?
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