こんにちは、TAMAIです。前回は、プロフェッショナルとアマチュアというテーマで記事を書きました。
その関連で、今回は偉さとかリスペクトについて書いていこうと思いま~す、よい。
というわけで、早速昔話なのですが、僕がアルゼンチンタンゴを初めて2、3年の内でしょうか、あるフレーズを何度か耳にすることがありました。それは、
最近のアマチュアはプロへのリスペクトが足らない。
というものでした。プロの方だけではなく、アマチュアの方からもこういったフレーズを聞くことがあったと思います。
こういった問題は、どの分野でも直面するテーマです。特に急激な成長の途中にある業界や、そうでなくとも長く業界が続いている為に起こる、プロとアマの人数対比の悪化や、世代間ギャップ、プロとアマチュアのアクティブエリアの相違によるエンカウント率の低下によって引き起こされます。ものすごく雑に言えば、プロがアマチュア(を含む業界全体)の動向や生態を把握できていない、こととアマチュアがプロにあまり興味がない、ことの2点に収束するのかなと思います。もちろん、こういった事実は一部なんですが、気にしている人にとっては、お互いにそれが目立って見える、という事です。ですから、特に先生と呼ばれたりプロとして活動しているダンサにとって、コミュニティを守るため、またはより強くするために、上記の問題(最近のアマチュアはプロへのリスペクトが足らない)に立ち向かう必要があるのです。
しかし、
そう、それは確かにその通りなのです。アマチュアに対するそういった発想というのは、理解できるし事実でもあります。
でも、そういったフレーズを耳にする度に、僕自身の手ごたえというか、実感として感じていた肌触りは別のものでした、それは、
どちらかといえば、今のプロはアマチュアに対するリスペクトが足らないんじゃないかなー、です。
業界の黎明期においては、プロの立場というのは非常に高いところにあります。技術や知識、精神を持っている人が限られていて、先生としてそれを共有するためのコミュニティも小規模です。むしろ、小さなコミュニティの中で先生として技術、知識、精神を共有できた人がプロになっていった、と言えます。その時代においてプロとアマチュアとはつまり、先生と生徒という関係とほぼ同義ですし、発展への貢献も著しいものがあります。そういう意味で言えばプロというのは確かに偉い人だったわけです。プロとして活動する先生へのリスペクトと、それを支えるアマチュア、生徒への感謝という構造は非常に強固なものだったことでしょう。
ところがコミュニティが成長して過渡期に入っていくと、その条件は次第に変化していきます。
当然プロよりも、アマチュアの人数比は大きくなります。プロとアマチュア間の技術や情報、精神の習得のギャップも小さくなります。プロにとってアマチュアは必ずしも生徒ではないですし、アマチュアにとってプロは必ずしも先生ではなくなります。アマチュアはプロだからという理由ではなく、リスペクトする対象を選択できるようになるでしょう。プロは、感謝できる対象がアマチュアという大きなカテゴリーではなく、先生と生徒という、より小さなカテゴリーに限定されやすくなります。
つまり、ヒエラルキーを表す形が薄く広く引き伸ばされていくことで、プロとアマチュアとのギャップはだんだんと小さくなってしまうのです。
昔は正社員役職付きとアルバイトくらいの差があったものが、自然と係長代理と平社員くらいの差になるようなものです(あってるか?)。
まあでもこれは、業界が成長した証でもあります。
それだけではありません、今まで情報というものは限られた人たちのものでした。ところがネットの普及によって情報というのは基本的にいつでもどこでもシェア可能なものになり、アマチュアであってもアーティストやオーガナイザになることが可能になりました。技術、知識、精神、こういったものの発信や、業界の発展への貢献がプロの専売ではなくなりました。
こういった変遷を経て自然かつ当然にプロの地位は低く、アマチュアの地位は高くなり、実質的に対等になってきたのです。
そういったわけで、僕が、今のプロはアマチュアに対するリスペクトが足らない、と感じたのは実は当たり前のことでもあります。
長く業界にいればいるほど、プロの価値は低くなったと感じることでしょう。
プロとアマチュアが対等である、という感覚、思想自体が比較的新しいものです。そういった感覚に敏感な人も鈍感な人もいるでしょうが、僕は、それを比較的当たり前として受け取っている世代ですし、アルゼンチンタンゴコミュニティにおいては(何度目かの)過渡期、もしくは停滞期と言えるタイミングに僕は参入しているので、よりそう感じやすいのかもしれません。
結局のところは、バランスの問題と言えます。プロの価値を再び高めようという動きも、アマチュアの価値の高さを認識しようという動きも、どちらに舵を切ることが有益だろう、とそれぞれが考える結果です。どちらも重要です、一見、両立は難しいと思えますが、不可能ではないはずです。
そして今の状況はどうでしょう、皆さんはどう感じているでしょうか?変わりましたか?それとも何も変わっていませんか?
これは、それぞれの意識によって簡単に変化を感じることが出来るようになるでしょう。
僕はどちらかと言えば、今でも、プロはアマチュアをリスペクトすることと、アマチュアはアマチュア自身をリスペクトする意識を持っていいと思います。そういった意識を持っている人が少数派と考えられるので、バランスを取りたい、と考えているだけですが。
一応、注意喚起として書きますが、間違ってもプロをリスペクトしなくていい、と言っているわけではありません。リスペクトされるべき人はプロだろうとアマだろうと関係なくされたら良い、という事です。
プロというのは、前回も書きましたが、プロという立場の他にティーチャやメンター、指導者や伝道師などいろいろな役割を兼任していることが多い(アマチュアでも、それらを兼任できますが、傾向として)です。そうある為に、多くのお金や時間を普及や研鑽に費やしたはずです。そういった業界への献身があります。
その献身を少しだけわかりやすく保証するのが、プロフェッショナルという立場です。とはいえアマチュアは、それが少しだけ見えづらいだけですが。保証するという意味では、先生であったり、関連組織の役員、大会での優勝、といった実績、肩書も同じです。
ここで、ようやくまとめです。リスペクトとは?
プロだとか、アマだとかその実績や肩書にではなく、そこに至る経緯に、それまでの努力、研鑽、お金、時間、貢献、
全てをひっくるめた、大いなる献身に対して敬意を払うのです。僕はそう思います。
次のテーマは、何でしょうか、ではまた。
P.S 大いなる蛇足
日本のアルゼンチンタンゴ業界ではいない、というか僕は知らないけど、他分野で、実績も貢献もすごいのに性格とかが壊滅的でリスペクト出来ない、とか逆に性格は壊滅的なのに表現とか実力がすごすぎてリスペクト出来ちゃう、みたいなぶっ飛んだ人もいて、評価に困ることありますよね。こういった人がいる(受け入れられている)ことも、業界が成熟していることの、一つの指針かもしれませんね。
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