はい、TAMAIです。はやいもので、今回で僕の書く記事が10件目ですね。このペースがいつまで続くでしょうか。
今までは、なんだかんだと言いながら、間接的にアルゼンチンタンゴに関わる内容であったり、そうでなくともダンスに関わる一般論であったり、マインドについて僕なりに真面目に書いてきてしまったな、という印象です。
ここいらで、もっと広くタンゴやダンスとは全く関係がなく、なおかつ誰しもにとって欠かす事ができない最も重要とも言える内容に足を踏み入れたいと思います。僕は、基本的にバランス型で争いを好みませんし、どういった状況であっても出来るのであればお互いフェアでありたい、と考える方です。でも今回は、触れる内容が内容なので、どうしても刺激的になってしまうでしょう。人によっては、不快に感じる事もあるかもしれません。もしかしたら、炎上してしまうのではないか?どんな結末であれ、僕がそれについて触れるのは今回が最初で最後になるでしょう。そういった一種のタブー、決して踏み入れてはいけないサンクチュアリへと、突き進む覚悟です。
猫について。
そう、猫についてです。猫とはなんでしょうか?もちろん、皆さんご存知の通り猫とは、遥か高く孤独に遠くを見据え、その姿はさながら哲学者や数学者です。まさしくその存在は孤高であり、近づけば遠ざかり決して触れられぬものです。しかし、一瞬の気まぐれか、はたまた残酷な慈悲なのか我々の視線の外でこっそりと忍び寄り、その暖かくもあり冷たくもある矛盾そのものを包み込んだかのような体毛に触れる機会を与えてくださるのです。
猫は何者にも媚びる事はありません。人間など歯牙にもかける事はないでしょう。ところが最近は、いや、最近に限った話ではなく人が猫と出会って以来、常にその問題とは隣り合わせでした。そう、人間によって猫が貶められる言動が多く、目に余ります。人間は口々に、声をそろえて言うのです。
「猫、可愛い」と。
もちろん、猫様はそう呼ばれていることなど気にも止めておいでではないでしょう。私ごときが心配することこそ、不敬であり要らぬ世話だと、一蹴されるやもしれません。
確かに、猫は可愛い。しかし、それは結果の話です。あたかも、猫自身が人に可愛いアピールを振りまいていたり、人に媚を売っているかのような誤った認識を持っていたり、植え付けようとしている言動を見過ごすことはできません。
猫とは孤高です。ゆえに美しいのです。
しかし、一部ではありますが確かに、猫の中にも人ごときに媚を売ったり、可愛さを振りまいたりするものが存在します。まだ猫になりきっていない未成熟な個体や、人に飼われる、という堕落した個体です(なかには、深い思慮によりあえて人間に飼われているように見える状況、人に飼わさせているという状況に身を窶している方もいらっしゃいますが)。
そのような、猫として未成熟な個体に限って、人間は猫可愛い、猫可愛いと繰り返すのです。
一体人は、猫の何を見ているのか、猫は人間ごときには媚びないのだ、気高い存在なのだ。
猫は媚びない!猫は媚びない!
そうだ!つまり、人なぞに媚びるような猫はそもそも猫ではない!
あえて言おう、人に飼われた時点でそれは猫ではない、豚だ!
豚だ!豚だ!
猫を飼っているのではない、豚を飼っているのだ!
猫を取り戻すのだ!猫を取り戻せ!猫は媚びない!猫は孤高!猫!猫!猫!!!!!
注 豚は非常に可愛い動物です。比喩表現として使用したことを謹んでお詫び申し上げます。
また、記事の写真はすみれさんの飼う2匹の豚が最適解ではあるのですが、ご了承ください。
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