また同じ事言ってる #17

すべてはhubになる Dance

はい、TAMAIです。
しれっと、先週分の更新を休みました。休もうと思っていたわけではないのですが、まあ更新したその瞬間に読まなければいけないような時事的なトピックを書いてきていないので、皆さんへの影響は特にないでしょう。もしかしたら、期待して待っていたのに、という奇特な方もいらっしゃるかもしれませんが、あまり期待しないように。

しかし、何事もそうですが、休むか休まないか悩める、というのはある意味で恵まれているという一つの証明です。世の中には、休みたいのに休めない人や、休みたくないのに休まざるを得ない人たちがいます。もちろん、なかには本当は選べるのにそうできないと勘違いしている人もいます。したくとも出来ないという状況は、いわゆる不自由な状態ですが、選択の幅はもちろん、自身の思考を狭める要因でもあります。現在の世情は、特にそれを感じさせられると思います(時事的なトピックを示唆してみた)。

視界を広く持つ事は、余裕がなければ維持する事は難しいかもしれません。しかし本当に残念なのは、そういった視野狭窄に陥っているという事に無自覚であるという事です、自覚があれば、目の前にそびえる大きな問題、だけが問題ではないという事に気付けるでしょう。問題の数、サイズ、場所、優先順位、色々なものが煩雑に繋がっています。
期待とは裏腹に、繋げたいものが繋がっていなくて、繋がらなくていいものが繋がっている。ああ、生きるとはままならない事ですね。

でも、そういった分析が余裕を生むし、余裕がそういった分析を可能にします。

そして、もしかしたらそれが、あまり期待しなくても生きていけるようになる、秘訣なのかもしれません。
そんなふうに生きていきたいな、とは思います。

そういった思いも含んでいたのか、前回は、ローカルに生きる、事について書きました。
で今回は、このローカルという単語は、それ自体とても面白い言葉ですね、って事です。

好きな言葉は何ですか?と、質問されたら、今後からローカルと答えようかな、と思えるほどです(誇張)。

というのも、ローカルという言葉は、対義語としての言葉が複数あって、それぞれに視点が違うからです。
地方、という言葉に訳されがちなので、なんとなく田舎を想像しがちではありますが、田舎的な意味は含んでいません。それは、セントラル(中央)に対する、地方であったり、ジェネラル(全体)に対する、局所であったり、それくらい抽象的というか、そもそも視点概念的な言葉です。

前回の内容では、ネットワークに繋がらず独立しているという意味で、リモートに対するローカルでした。
ローカルには上記の他にも対義語的な言葉があって、その一つがハブです。

これも、面白いですね。車輪の中心部や集線装置といった意味です。ハブ空港なんて使われ方もします。
組織や、集団、コミュニティだったり、力や人や物が集まる点、そこを行き来する構造自体に興味があるのかな、と思います。

人生においては、基本的には、ローカルに生きたい、独立していたい、と僕は考えています。そして、そうあることが個人ないし集団が幸せであるための最適解だと、信じてもいます。でも、結局人間は一人では生きていけないし、色々な関わりを持って全体の一部として生きています。ローカルとハブの関係性は対立していますが、相容れないものではありません。

僕たちのような一部(ローカル)は、それらを集めたより大きな構造(ハブ)から色々な恩恵を受ける事もあります。でも、そのハブは、より大きなハブの一部かもしれません。また僕自身も幾つかのローカルを束ねるハブでもあるのです。独立している事は、孤立しているという事ではありません。

組織や集団、コミュニティは、ローカルとハブのループであり、フラクタルです。そして、それらが複数また独立して立体的に重なっているのです。

会社の平社員かもしれないし、消防団のリーダかもしれないし、サークルのメンバかもしれないし、家族の大黒柱かもしれないし、国の代表かもしれないし、人類の一員かもしれません。これらは、一つしか選べないわけではありません。どこのレイヤーで物事を捉えるかです。

あれ、何でこんな話になったんでしたっけ?

毎回、色々なテーマから分岐して違うテーマについて書いているつもりが、結局は視点の話になってしまいます。
ループかつフラクタルな構造を、上から?下から?、中から?外から?、マクロに?ミクロに?どう観るか。
レイヤーに分けよう、細切れに、鋭利に、鈍く、どう切り取るか。

結局は、同じ事を繰り返し繰り返し書いていますね。

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